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コーチ自身が「フレーム」から自由でいるために・・・・(1)

今日は私のブログにコメントで質問してくださったことにお答えします。(昨日のつづきは明日)

●質問はフレームだ!へのコメントありがとうございます。

「かよりんさん、こんにちは。
素朴な質問をさせてください。コーチングの認知度が上がるにつれ、たとえば「タイプ分け」のように、コーチングそのものがフレームを形作る「制度」として機能する場面が見受けられるような気がします。

コンテキストを収集する上で、コーチ自身がフレームから自由でいるためには、何をどうすればよいのでしょうか?」

まったく私の私見ということで、このブログに書いて見ます。(今回はですます調です)

まず結論といえるかどうか判りませんが、

  どういう「自分の状態」をコーチ自身が手に入れている必要があるか!?

ということに尽きるでしょう。

コンテキストを収集する上でコーチ自身が「自分自身の固定的フレーム」を手放していることこそ、重要とお答えしましょう。既成概念や無意識下の規制、パターンがクライアントさんのコンテキスト収集の邪魔になるということです。

「直感・体感覚・洞察」とでも呼ぶべきキャリブレーション能力(観察力・観察眼)を使って「その人が手にすることでその人の欲しい人生の意味=コンテンツ」が引き出せる質問「フレーム」を瞬時に選択し、そして差し出すということがコーチの真価です。

そういう意味でコーチがその「タイプ」にはまらないことです。「タイプ分け」に自らハマっていては、すでに柔軟性の前提がないという状態に居るといえます。規制や既成概念がすでに前提としてあると言えます。

その状態がいったいどういう自分自身の状態であるのかを、自己観察眼で以て認識していることで、「自分の持つフレーム」やパターンを、アソシエイト(当事者)的に一瞬なったとしても、すぐにデソシエイト(非当事者)になって扱えるようになるでしょう。

これらはいつも申し上げる「柔軟性」であります。

まさに、自分の持つ「思考パターン」「言語パターン」「感情パターン」を知り、そしてそのものを手放していること――それらはプロセスのリソースであって、大切なのは「目の前のクライアントのフレーム」としてどれだけその人そのものを見れるかということです。

相手がいったいどんな絵を今見ているのか、どんなメッセージを聞いているのか、どういう感覚や感情をいだいているのか・・・・。

これらが本当のコンテキストであって、「たまたまどこかでその人がやっていたことに貼り付けたラベル=タイプ」ではないのです。

タイプ分けは、フレームというより、不自由な既成概念といえるでしょう。それを「効率的な道具だ」と早計に受けとめるのは危険だと思います。

実際、人は五感のアプローチをつかって引き出す感情を意図して質問をすると、その人のパターンも現れてくる(そうNLPでいうところのVAKですね)し、ラ・ポール(信頼関係)の取れているという前提があることで、ある意味の誘い(いざない)へのリーディングができるのです。決してクライアントさんが行きたくないところに行くわけでも、いつもパターンでやってしまっている行き先に行くわけでもないのです。

ですからタイプ分けにコーチがハマってしまっては、相手の可能性について柔軟性を奪われてしまうのは目に見えています。目の前の本質なるクライアントを丸ごと受け入れ、今その人がハマっているパターンも、手放しても良いし、そのまんまやっていても良いんだ・・・という選択できる環境設定があってこそ、初めてその人が違うタイプの自分を体験することができるんですよね。

この選択できる環境を「無意識的に」奪いかねないということで「タイプわけ」を否定します。

う~ん、また最長記録を更新しそうになるのでちょっとブレイク(続きはまたあとで)
スペルボーン(Spellborn)