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ブログでもお騒がせしたけど、今しがたここ1~2年のクライアントさんに向けて、「MCCの推薦状をなにとぞお願いします」と、締切り間際にお願いメールを出して、最終的にお返事を待つばかりとなった。*どうも2005年春と秋以降で、クライアントさんの推薦状の要求がなくなっている可能性もある。ICFに早速コンタクトとって質問したが、いずれにしてもまずはお願いしておくことが肝要かとおもわれた。

ここまで思い立ってから1週間強、普段の管理が悪いもので、クライアントさんのコーチング時間を集計するのに手間取った。

メモや記録データで時間を算出しトータルするのに、実際この2~3日は徹夜仕事状態であった。研修や、コーチングを教える時間を除いても、企業向けのグループコーチングなどの機会を含めて、それぞれのグループ、個人ごとに集計をかけてゆかなければならないし、無料体験などで提供したりしたものは別途集計をする必要がある(詳細には、全体2500時間以上の中の無料提供は○%以下と規定されている)。

今日25日で集計が終ってみると、本当に多くの方々と機会をいただいたんだなぁとつくづく思う。まさに「3,343時間35分」の時間を200名以上のクライアントさんと、コーチとして向き合ってきたようだ。日数にして140日分になる。

お客様の名前、相手のコンタクト先(E-mailか電話番号)、コーチングの機会の期日・期間、コーチングの時間(量)についてすべてリストアップし、合計してゆくのだ。

一人ひとりのお顔がうかび、こんな話やあんな話もあったなぁと思い出される。

とてつもない時間をともに過ごさせていただいたのだと感謝の念に耐えない。

我究館(学生向けの就職予備校だった前身から、若手の社会人向けにコーチングしながら、自分を見つめる作業を手伝うスクール)でのグループ・コーチングも、個別面談セッションもすべてがコーチングの機会だった。一人ひとりが必死で自分らしく生きて行くことに向き合っていた。本当に熱い機会を毎月毎月新しいメンバーと創り出していた。

企業で研修(コーチングを教えるのは、換算されない)後、参加者メンバーにグループ向け、個人向けにコーチングを実際行いながら、「習慣を変える、自己のコミュニケーション力を高めるためのコーチング」をさせていただくのも、コーチングとなる。数ヶ月の期間を経て「自分が変われることが判って、部下や周りの人間も変われると信じられ、コーチングをやってゆく腹括りができてゆく時間」それにコーチとして付き合った。

多くの気づきと学び、そして人々の柔軟性について、選択について係われたことを心から感謝し、全てのクライアントさん、つながった人たちに――

   あなたのことを誇りに想っています!
   本当にありがとう。そして、これからもどうぞよろしく!

で、平行してやっていた4月1日に出発する海外セミナー参加の出張手配もほぼ同時に終った。まさに、大わらわだった。

新しいICチップ入りのパスポートやらも、2月に前のが切れていたのに気づき、この20日の申請開始日に4時間待ちして手続きしてきた。

来週それをピックアップして、MCCの申請書類を発送して、あとは、アンソニー・ロビンスに会いに行くだけだ。2004年9月のシンガポール以来一年半ぶりの再会だ。

あ~しんどかった。ふぅ。その間ブログも書けたし、なんかすごい充実した1週間だったなぁ。自画自賛でこれからしばし寝ようっと。

・・・妙に目が冴えているなぁ。このまま起きて長い一日っていう選択もあるか。なんちゃってね。
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さてさて、「国際コーチ連盟(ICF)のコーチ資格って・・・やっぱり大事?」の続きを書かなくちゃね!

(1)では、国際コーチ連盟(ICF)の認定プロフェッショナル・コーチ(PCC)資格の取得について振返った。=>ICFの認定プロコーチをFind A Coach で検索すると (Japan,PCC)

今回はその上の資格、国際コーチ連盟の認定マスターコーチ(MCC)の申請なのだが、実践時間(要件2500時間)はすでに大幅に超えていると判っていても、もろもろの手続きに必要な書類をつくるのを億劫がってしまっていた。お尻に火がついてからやりだす悪い癖だ!

普段から、コーチングの時間の集計をこまめにすることをお勧めする!(結構大変)データや記録時間のメモを、エクセルシートに入力するのをマメにしていなっかったので、集計で時間を喰ってしまうのだ。

また、じっくり資格要件を読み返すと、「3人の国際コーチ連盟 認定マスターコーチ(MCC)より推薦状をいただくこと」となっていて、これは、私にとって大きなハードルであった。

資格コースを終えた出身母体のCTIジャパンにはまだ誰もMCCが居ないのだ。

1期生だからそれもある。そこでまた「柔軟性だ!」とあれこれ私のコーチングについて、コーチ活動について知ってくれている方、思い当たる方を探す。

国際コーチ連盟(ICF)のアメリカのホームページには、日本でMCCとカテゴリーして検索しても15名。私が終えたもう一つのメソッド、CTPのほうのご出身、その機関の方ばかりだった。36過程終えてからはあまりおつき合いもしていなくて、実際15名のリストのなかでは、勉強会でご一緒したことのある方が一人だけであった。
=>ICFの認定マスターコーチをFind A Coach で検索すると (Japan,MCC)

一方、MCCのリストでUSAから検索した。もちろんCTIの創始者であり、私のリーダーでもあった方の米国人リーダー2人はMCCホルダーであった。

CTIジャパンに居ないんだから、これはもう大師匠にお願いするしかない!

幸いにも、CTIジャパンの1期生だったおかげで、私は米国CTIのファウンダー(創立者)メンバーと、榎本英剛さんのリーダーでアドバンスコース、またCPCCのCTI資格コースまでを修了したのだ!

だから、Henryと、Karenのお二人に、「受講生だったよしみでお願い!」とMCCの推薦状をお願いすることにした!(女は度胸!)

もちろん、今は異国の地で新しいことを模索中の榎本氏にお口添えをいただき、自分でも直接メールでお願いした。お二人ともすっごく忙しいらしいのだ!メールをすぐ読んでくれたらいいけど・・・・。いいや、大丈夫、きっとCTIジャパンのMCC一号を喜んでくれるはずだ!

なんともうれしいことに!2人とも、2日と時をおかずして――、

「おめでとう、よくぞMCCのレベルまで頑張ったね!もちろん、喜んで。6年弱かけて最初の基礎・アドバンスコースから、CPCCのコース開始を3年も待って、CPCC取得、PCCそしてMCCと磨きをかけて精進してきたことに、大いに敬意を表して、このコンタクトを歓迎するよ!」

と言ってくださったのだ。実際、彼らのリードしてくれたクラスは、私にはとてもパワフルで、新鮮で且つ、「プロのコーチになる!」と決めさせた素晴らしいアプローチだったのだが、この機会にまたお世話になるとは思っても見なかった。

本当に榎本さんをはじめ、この3人のCTIの偉大なメンターに認知を受けることは私にとって天にも昇る気持ちにさせてくれるものである。

これからは、出身者のちょっと先輩ということで、後輩が資格を取りたいというときに、私もサポートしたいと思う。このメンターの推薦状というのが、自分にどんな新しいミッションをあたえてくれるかという部分で、大いに仕組みとして意味があるのだと改めて判ったような気がする。

そして、MCC推薦者として3人目のマスターコーチとして、大いなるサポートをくださったYさんにも感謝申し上げる。

勉強会でお目にかかり、その場でお話ししたことやワークをいっしょにやった仲間として覚えていてくださり、わらをも掴むような気持ちでお願いした推薦状を

「もちろん、覚えていますよ!よろこんで。」

と快く、お引き受けくださった。

そうか、こうしてコーチとして仲間とつながり、またコーチとして次につながる。資格申請の要件で、クライアントさんにももちろん推薦状を頂く必要がある。

これから、クライアントの皆さんに「またWin-Win Partnerとして進化します」とご報告・宣言かたがた、お願いするところである!

いつも、私を支えてくださってありがとう!

そして、ペイ・フォーワードできる私になってゆきますから!
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ブログへの質問に答えていたら、あれよあれよのボリュームになっちゃいました。(どなたですか?いつもそうジャンって言ってるのは――)

で、コメントも折り返しいただきありがとうございます。流石に大学院でコーチングの社会的活用・効用をテーマにされているsleeperさんだけあります。

> 社会学や文化人類学では「再帰性」という、とても重要な概念があります。
> これは「観察した結果が、観察した対象に影響を及ぼすこと」を意味しています。
> たとえば「日本は○○な国である」という当初は客観的だったはずの分析が、逆に
> 日本社会のあり方そのものに影響を与える、といった状況を指します。

> なのでコーチの側が自分自身の「思考パターン」「言語パターン」「感情パターン」を
> 無自 覚なままにクライアントを観察すると、その観察結果が逆にクライアントに影響
> を及ぼす、という「コーチングの再帰性」という問題が出てきそうです。

(1)で申し上げたように、クライアントさんの選択できる環境を「無意識的に」奪いかねないということで「タイプわけ」を否定します。

というのは、まさに、「そういうタイプだ」と観察してラベル化したときに、相手がそれをやりだす、つまりクライアントさんが「そのタイプをやりだす」ということが大いに引き出されてしまうということです。「コーチングの再帰性」ですか、おっしゃるとおりです。

4~5年前、私が参加したある電話のクラスでのコーチ養成クラスで、同じくクラスに参加していらっしゃった生徒でありプロであった方が(プロで当時かなり実績のある方であったと記憶しておりますが)、「私は○○タイプなので、そういう質問をされると××と答えたくなるのよね」と堂々とおっしゃっていました。

私にはそのことがとても驚きで「コーチがタイプわけに自らハマっていらっしゃる!」と感じたのでした。つまりこの反応はすでに、「このことが選択を不自由にしている」ということに他ならないということなのです。気づかれたならば、当然、その方のクライアントさんには「タイプわけなんてできないはずだ」と私は思ったのですが、そのクラスではあまり不思議に思われなかったようでした。(私には忘れられない光景---実際には電話クラスなので、耳を疑ったと言うべきかしら!?――ことでした。)

また、その一方で、コーチが「このクライアントさんは○○タイプだから・・・」と前提をもって何か別のところに焦点や意図があたると・・・・つまり、「クライアントさんで居てもらわなくっちゃ困る」とか、「こういう質問すると嫌がるだろうなぁ・・・」とか、顕在化していなくてもそういうかすかな感情が、無意識でも有意識でも脳は、どんどんプロセスして行ってしまうのです。

もっとひどい場合はそのクライアントさんとのパターンに自らがハマって、「○○タイプにはこのアプローチ」なんてのをやっていたりすることが起こる可能性が大です。

コーチだって人間ですから、クライアントさん同様にパターンもつくるし自分への信頼が何かの拍子に損ねられたりすると、「嫌われたくない」みたいな感情が起こる可能性があるでしょう。

そういう意味でタイプ分けは、観察力を劣らせるし、その人一人ひとりを扱っているという「自覚すら奪う」というように”脳みそのプログラムの作られてゆく仕掛け”を知った者としては、大いに注意が必要と考えています。NLPでは、プログラムやプロセスの傾向としてVAKの理解プロセスを扱いますが、決して人間をタイプ分けしません。

その上で、コーチが自分のフレームを押付けるのではなくて、その場に必要な、その人がもっといろんな可能性を見ることができたり、あるときは持ち味として、そしてリソース(資源)として使えるものを再認識できたり、あらたなソレについて発見につなげられるものを、質問=フレームとして差し出す必要があると思うのです。

自由自在こそがコーチの「いのち」です。そういう意味で、コーチがモデルで完璧であるっていう必要性よりも、「自由自在に柔軟性を持ったフレーム(切り口のある)質問」が出せるほうがずっとクライアントさんにとって価値のある存在ではないでしょうか?

と、今度はコーチの真価に話しが広がってしまうのでこのへんで。

ちょっとくどかったらお許しを。(この時間ですから、読み返しもそこそこです)

またあくまでも「タイプわけ」に関して私の私見ですので、いろいろな捉え方があるということについて「違い」であって「間違いではない」ということで、他の意見の方のお話も聞いてみてください。

かよりんは、こう考えているだけです!ここでの議論はあんまりする気がありませんので、異論・反論・オブジェクションのある方は、またご自身のブログでお書きいただくということで、お許しを!
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今日は私のブログにコメントで質問してくださったことにお答えします。(昨日のつづきは明日)

●質問はフレームだ!へのコメントありがとうございます。

「かよりんさん、こんにちは。
素朴な質問をさせてください。コーチングの認知度が上がるにつれ、たとえば「タイプ分け」のように、コーチングそのものがフレームを形作る「制度」として機能する場面が見受けられるような気がします。

コンテキストを収集する上で、コーチ自身がフレームから自由でいるためには、何をどうすればよいのでしょうか?」

まったく私の私見ということで、このブログに書いて見ます。(今回はですます調です)

まず結論といえるかどうか判りませんが、

  どういう「自分の状態」をコーチ自身が手に入れている必要があるか!?

ということに尽きるでしょう。

コンテキストを収集する上でコーチ自身が「自分自身の固定的フレーム」を手放していることこそ、重要とお答えしましょう。既成概念や無意識下の規制、パターンがクライアントさんのコンテキスト収集の邪魔になるということです。

「直感・体感覚・洞察」とでも呼ぶべきキャリブレーション能力(観察力・観察眼)を使って「その人が手にすることでその人の欲しい人生の意味=コンテンツ」が引き出せる質問「フレーム」を瞬時に選択し、そして差し出すということがコーチの真価です。

そういう意味でコーチがその「タイプ」にはまらないことです。「タイプ分け」に自らハマっていては、すでに柔軟性の前提がないという状態に居るといえます。規制や既成概念がすでに前提としてあると言えます。

その状態がいったいどういう自分自身の状態であるのかを、自己観察眼で以て認識していることで、「自分の持つフレーム」やパターンを、アソシエイト(当事者)的に一瞬なったとしても、すぐにデソシエイト(非当事者)になって扱えるようになるでしょう。

これらはいつも申し上げる「柔軟性」であります。

まさに、自分の持つ「思考パターン」「言語パターン」「感情パターン」を知り、そしてそのものを手放していること――それらはプロセスのリソースであって、大切なのは「目の前のクライアントのフレーム」としてどれだけその人そのものを見れるかということです。

相手がいったいどんな絵を今見ているのか、どんなメッセージを聞いているのか、どういう感覚や感情をいだいているのか・・・・。

これらが本当のコンテキストであって、「たまたまどこかでその人がやっていたことに貼り付けたラベル=タイプ」ではないのです。

タイプ分けは、フレームというより、不自由な既成概念といえるでしょう。それを「効率的な道具だ」と早計に受けとめるのは危険だと思います。

実際、人は五感のアプローチをつかって引き出す感情を意図して質問をすると、その人のパターンも現れてくる(そうNLPでいうところのVAKですね)し、ラ・ポール(信頼関係)の取れているという前提があることで、ある意味の誘い(いざない)へのリーディングができるのです。決してクライアントさんが行きたくないところに行くわけでも、いつもパターンでやってしまっている行き先に行くわけでもないのです。

ですからタイプ分けにコーチがハマってしまっては、相手の可能性について柔軟性を奪われてしまうのは目に見えています。目の前の本質なるクライアントを丸ごと受け入れ、今その人がハマっているパターンも、手放しても良いし、そのまんまやっていても良いんだ・・・という選択できる環境設定があってこそ、初めてその人が違うタイプの自分を体験することができるんですよね。

この選択できる環境を「無意識的に」奪いかねないということで「タイプわけ」を否定します。

う~ん、また最長記録を更新しそうになるのでちょっとブレイク(続きはまたあとで)
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この数日前、国際コーチ連盟の認定マスターコーチ資格の申請を今年「3月締め切り分」でするぞと決めた。取り掛かったのがぎりぎりだったため、集計作業や、推薦状をお願いしたりで大わらわしている。

コーチ資格に興味のある人もいるかもしれないので、世界標準!?の「国際コーチ連盟認定資格取得記」のつもりで、書いて見ることにした。

すべて自分で手続きしているし、国際コーチ連盟の人と直接やり取り・交渉をしてきたという意味で経験者でもある。

私自身は日本における国際コーチ連盟(ワールドワイドにコーチの資格認定を行い、コーチの質について基準の設定と行動規範を定義し、同時に養成機関の基準を決めメソッドの認定しているアメリカに本部のある機関)の認定メソッドを2つ学んでいる。

そして、その養成機関でのプロフェッショナル認定を受けたのは、自分のポリシーもあって、その中の一つ、The Coaches Training Institute (CTI)と言う機関の日本法人、CTIジャパンであり、2000年の第1期生としての基礎・アドバンスコース受講者であった。

同期生や元クライアントさんが日本のリーダーとして立派に成功してくださり、3年以上待ったが晴れて資格コース(CPCC=Certified Professional Co-Active Coach)が開催されたおかげで、2003~4年にCPCC取得後、すでにゴマン(確か1800時間以上あった)とたまっていた「コーチングを仕事として有料で提供した時間(要件750時間)」の取りまとめをして、2004年3月に大慌てで国際コーチ連盟の認定プロフェッショナル・コーチ(PCC)資格を申請した。

めでたく資格をいただいたのも、ついこないだと思っていたが、あっというまに2年だ。

認定プロフェッショナル・コーチ(PCC)の場合は、「2人の国際コーチ連盟 認定プロフェッショナルコーチ(PCC)」の推薦状が必要だ。

当時も、コーチのパイオニア、日本にコーチングを紹介した人と言って過言ではない、アメリカのコーチ養成機関CTI(The Coaches Training Institute)で初めて外国人でプロフェッショナル・コーチ資格を取った「榎本英剛氏」(現CTI顧問)と、もうひと方S氏のお力添えを頂いて「メンター・コーチ」の推薦状を頂戴した。

こういうときに、自分を育ててくださったメンターコーチや、後輩に手を差し伸べてくださる先人のありがたさがとても身にしみる。

そして、沢山のクライアントさんから、「もちろん、書きます!」と5通の推薦状にあまりある応援・推薦メールをいただき本当に心強く感謝であふれたのを思い出す。

ここまでが、ざっと国際コーチ連盟の認定プロフェッショナルコーチ資格を取った2年前の記憶だ。もちろん、添付証明資料は他にたくさんある。

つづきのMCCは、またあした。
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先日続きで書くといっていた「誘い(いざない)」とは、何か?について、続きが遅くなってごめんなさい。ICF(国際コーチ連盟)の(MCC)マスターコーチ資格申請準備などでバタバタとしてしまった。リフレーミングして、続きを書いてみる。

さて、改めてコメントするとそれは、コーチがする「質問」の本質と繋がってくる。

私がすでに明確に腑に落ちていることで「コーチがよく陥るモンモン感」というものの中で、「それは誘導ではないのか?」という感情があると申し上げた。

そう、コーチはその人の中に答えがあることを信頼し、その答えをその人が見つけ出せること、そしてそれはその人にとってその時点での最高の選択(そうは言っても、身を助けていないものを選択していることは時としてあるものだが)をしているし、できる人であると確信している必要があるとこれまでも言って来た。

しかしながら、一方でコーチが「質問する」という行為・行動にどんな「仕掛け」があるのかについては理解していないと思えることが良くある。質問は視点を変えたり、焦点の見え方を変えたり、無意識に見ないようにしているものを見させたりするという「機能」については理解しているのに、とんと「質問すること」とはどういうことを脳にプロセスさせているのか判っていないと思えるのだ。

まず、「質問は額縁である」ということ。「額縁」によって「絵そのものに対する状況や意味」がちがってくるということ。

単純に「ダ・ヴィンチ」のホンモノの絵に「安っぽいプラスチックフレーム」があったらその絵はどう見えるか?また、その絵自身がホンモノと本当に思えるか?なんてことが第一には起こる。

また、このフレームだと「この絵がこんな感じ」、あのフレームだと「同じ絵があんな感じ」に印象を変えること自体が、「意味を変えている」ということである。

NLPやコーチングでは、これを「リフレーミング(額縁のかけ替え)」という技術で呼んでいるが、実際NLPで解説するところの前者が「状況のリフレーミング」、後者が「意味のリフレーミング」ともカテゴライズできるものである。

ホンモノでもニセモノという状況をひきだしてしまったり、当然のことながら見る人間のその絵を扱う心理を変化させてしまうという状況を引き出す。これは悪いことをいっているのではなく、実際状況を変えてしまえばもっと選択肢や違うものが見えるだろうということなのだ。

究極「欲しい結果を枠ぐむ(意図する)ならば、ホンモノと見えないフレームでもつけてしまえ!」そうすれば、人の感情や行動を変えてしまうのだという話。ただ、今の日本は「このフレームに振り回されて、ホンモノが見抜けない人」がいっぱい居るのは、残念でもあるが・・・・。

また、意味のリフレーミングは時にパワフルだ。これまではある額縁で「どうして自分だけこんな目にあうんだ!」とか「いつもアノ人は自分に対してこうだ!」とかいったラベルを貼っているものが、全く違うラベルを選択させることになる。そしてそのことは人生の意味すら変えてしまうといってよい。

つまり、質問はこの「フレーム」ということだ。領域を枠組んだり、環境や背景をフレームで設定することで、中身についての印象・感覚・意味・状況・・・などを変えてしまう、方向性がでたりすることもある。

大いなる、そして本質なる目的やゴールを手に入れるために、必要であれば額縁をとりかえて「意味すら変えてしまう」ことだって、脳みそは単純にやってのけるのだから。選択はその人が何を手に入れたいのかに焦点があたったとき、必ずそれに必要な自分の選択をなすということについて、コーチはクライアントさんを信頼しておけば良いのだ。

それらが狙いなのであって実際そこから本人が状況を差換えたり、意味を上書きしたりして「クライアントにとって最も力になる視点、意味」を選択するプロセスを提供するのだ。

ここで方向性や意味を枠組む領域をしめしたからといって「それは誘導か」などと固まっていては、宇宙の無限の空間からいったい何を見つけ出せば良いのかという状態にクライアントさんを放りだすことになるのだ。

「質問は枠組み、フレーム」つまりコンテキスト(前後関係・背景・条件・・・)がコンテンツを決めるのである。人は瞬時にラベルを貼り学習を進めるが、実際このコンテキストの枠組みにパターンができたり、幅や選択肢がなくなることで、コンテンツ(中身の意味)自体が選択肢のない不自由な状態になってしまうのだから『質問』が機能するのは、このコンテキストの情報収集の方法に柔軟性を持たせること、ひいては意味についての柔軟な選択ができるようになることこそが鍵だといえる。

この質問は「誘導か否か」っていうところで陥っているのはこのコンテキストの収集方法が不自由になっているのではないか?と質問を差し上げることにする。

今回は、ちょっとNLP&コーチングの技術、質問の仕掛けについて触れてみた。皆さんもアイデアや選択肢が増えたとき、大抵「リフレーミング」をしていることに気づかれるはず!

「質問は額縁!フレームを色々と差し上げることで大いに柔軟性を引き出せるんだ」ということで使ってみてください!
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2月の末にとんだご無沙汰でブログを書いて以来、またあっという間に2週間以上が過ぎた!

自分にとんでもないスピードで色々なことが起こっている感じがする。これもNLPで潜在意識が加速して何かを求めているからなのかもしれない。シンクロニシティは引き起こしているんだから・・・・。

さしずめ、最近私自身がコーチとして関わる仕事のお相手が広がった、しかもそれはセラピストというアイデンティティー(自己存在の象徴)を自ら意識もしていないし、宣言もしていなかったのに、コーチングの領域から「自己存在について本当に向き合う必要性」がある人たちとの出会いを頂戴したり、これはクライアントさんではないが本当に「生死を見つめて悲しみ・苦しむ」人とつながったりしている。

つまり、NLPのトレーナー資格をとって「セラピスト」という領域についても十分学びが深まっていることに起因しているのかもしれない。NLP技術のモデルの一人である、ミルトン・エリクソンの催眠についてもそうだ!

その一方で、すでに何がしかの成功をひとつ収めていて次のステージに移ろうという起業家・企業経営者、自己実現にむけての加速を望むクライアントさんも一気に増えている。これも面白い現象といえる。

私のクライアントさんに求めているものがまさにバラエティーなのだから、潜在意識がまたまた領域拡大してクライアントさん像を広げているのだろう。

  私が差し出せるもの、貢献できるものが増えているということなのであろうか?

  もっと、領域を広げてゆけというメッセージなのであろうか?

  ひたすら、その目の前の人を信じて疑わないというあり方について、「自分を信頼する」という  ことを試されている「ストレッチ」を頂いているような気もしてくる。

私が人を救えるわけではないし、助けることもできないかもしれない。ただ、自分で言えるのは「その人に、選択肢は沢山ある!」ということだけ。そして「選択はあなたがしているし、あなた以外にそれは決められない!」と言う一貫したあり方でいるだけである。

その上で、「あなたがあなたにとって一番必要で、大切な『選択』をできる人であること」を、私は信じている・・・・そして、そういう私自身であることについて信頼している

その選択が、親子関係であろうと、人生で向き合ってきた試練であろうと、そして今目の前に立ちはだかる「苦難」であろうと、それに「どういう意味があるか!」というラベルを貼る、そのラベルの選択をするのは「あなたであり、あなたでしかない!」――と、ただただそのことについて触れるだけであり、コーチとしてその選択肢をもっと増やすこと、視点を変えてみたり、焦点を寄せる、離す、切り口をいろいろ質問で差し出すことで手伝うだけだ。

最終的にはその人がその人の中にある答えを探す、決める、行動するほかない。

また、一個人として自分の感じるフィードバックは伝えるとしてもそれはただただ「フィードバック」であり、示唆でも、指示でもないのは当然だ。

沢山ある選択肢の中から何が一番その人にとって必要なのかについて体験していただくシミュレーションもNLP的アプローチができることで、感情の差換え、上書き、新しい意味づけなどを質問によって枠組み「誘う(いざなう)」ということはある。

「誘い(いざない)」は、体験してみて、そして選択するかしないかを決めてもらうだけの話である。
これは誰もが持っている柔軟性において、誰もが持ちうる「柔軟性のなせる業」を思い出させ、狭窄なところで選択することを手放すことを可能とする素晴らしいものであると確信している。

ここは、よく駆け出しコーチが「それは誘導ではないか?」と陥る領域であるともいえる。これには、私自身明解な答えを持っていてまったく迷いはない。

えっ、それはなにかって?また、名物「プリントアウトして読まなきゃならないブログ」に拍車をかけるので、続きは明日ってことにしよう!(*・ェ・*)ノ~☆
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スペルボーン(Spellborn)