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前回の続きに戻ってみよう。

「あなたの成功を決めるのは一体誰か?」という質問があった。1)自分自身である--わが人生の舵取りは私だ!、2)他人である--他人の協力が無ければ何もできない!といった答えのどちらだろうか?・・・・当然、答えはもっと複雑なものであるように感じるのは私だけではないと思うが、視点がどこに置かれているのかで、その答えた個人の感覚が垣間見えるかもしれない。

それで、私はこの質問の前に、「成功というものの定義」が必要ではないかと思うのである。

その勉強会では「幸せ」といったように非常に曖昧でその内容が個人個人で千差万別なものであるような場合と例がだされたが、本当は「成功」というのも、その実似たようなものだと思うのだ。ただし、社会やその時代のムーブメントで流行りとか、世間でいうところの・・・・といったこれまた曖昧な基準で「一線」があると言えばある。

成功は誰が決めるか?1)自分次第か、2)他人が決めるのか。

★ここで大事なのは「社会的認知や客観性の基準」及び、「成功状態の内容とその基準」である。

成功の定義は言ったが、自己実現の定義もこれまた曖昧だ。

私自身は、成功を語るとき前にも言った

「自分の内なる欲求が充足されているのは前提で、そのことで自己の価値やスピリットが最大化され発揮できている状態が、社会に認知されていること」

を自己実現だと考えていて、ずっとそのことを企業向けの研修ワークショップ、個人向けのオープンセミナー、個人・法人ともにパーソナル・コーチングでも一貫してその姿勢で遣ってきている。とらえている領域や基準に、「社会の認知」という「他者」が入っている。これが私の自己実現という定義だとすると、マズローの第6段階「自己超越」のエリアにもかかっているのかも知れない。

コーチとしてよく自己実現している状態を人に質問するときも、また、自分に質問するときも結構客観的要素で「基準」を問うことが多い。

その基準は単に「どれくらい・どれだけ」という数値で量れる・計れる・測れるものだけじゃなく、感情、感覚、状態、比較対象(人とは限らない、どちらかというと自己価値を最大化している究極の状態)とくらべてなど、他にも「どれくらい・どれだけ・どのような」と言った「基準」を聞くのだ。

成功ということを語るとき、自分の内面に於ける充実を「図はかる=意図する」ことは不可欠な要素の確認作業だが、他人がそれを「成功の基準としてみている」ワケでは必ずしも無い。

しかしながら、一方で自分が充たされずして、他人が成功していると「認知」してくれても本当にその人は「自分は自分の人生において成功している!」と確信を持てるのであろうかと考える。自分の基準を明確にすることで、その自己実現の段階が明らかになるような気がするのである。そして、それは、他人にとってはどうでもよい「成功」の基準や条件であったとしても、自分にとっては「はずせないこと」であることをはっきりと知らしめてくれる。

それでこそ、自分の本当に手に入れたい成功であるし、その上で他者の認知があって「成功者だ」とラベリングされても受け取ることが出来るというものだ。勝手に他人の基準で成功者と賞賛されてもうれしくもなんとも無いのではないの?と私自身は考えてしまう。

そういう意味では、成功を決めるのは「自分」なのだが、当然、成功の基準や中身についてコーチングなどで質問されることによって「その質感までもがあきらかになり、より大きな意図や目的に結びついて行くとき、当然のごとく社会の認知が組み込まれてくる」というのが私の前提である。

だからこそ、人に感謝し、人から学び、また自分も存在意義を差しだすWin-Winが生まれるのだ。それは、ある意味で「他人が成功の鍵を握っている・・・元を正せば他の人の力を借りれる、サポートがもらえる自分である」ということが大前提なので、1)の自分が根本にあり、成功をもたらすものの要素として2)の他の人が決める「差し出しあいWin-Winを創り出したい相手」と認知する部分でもう一つの鍵なのだ。

ああ、そうだこれって「7つの習慣」の自立していて、相互依存というアレだ!

そのことは、暗黙知で判っていても、言語化しないときわめて曖昧であったりする。で、成功ってこの相互依存の中で認識されるからこそ、「自分も他人もそのことを受け入れる」ということなのだ。

セルフ・コーチングもこのように機能する。これだから辞められないのね。

今週発売のPRESIDENTの特集で「書くこと」がテーマになっているが、伊藤忠商事の丹羽会長がおっしゃっておられる、「書くことの効能」というのはある。勝手に長々とブログを書いて、他者への迷惑っていうのはあるが、少なくとも自分には、気付きをくれる。学びもあるし、確信やクリアにしてゆくという作業もある。(だから私は企業研修でもワークシートに集中力で「書く作業」を必ず入れている、間違ってな~い!自己認知)

成功と自己実現をもっと明確に見ることが必要(どうも私はVisual人間なのか?見ることが必要・・・と最初に思っている…余談)とするならば、自分と他人との関係性が「成功を決める要素」であるとも言える。

ふふふ、それってやっぱり「人と人の繋がりであり、それがどんな風になったら、あなたの成功が手にはいるのだろう?」とクライアント(コーチングを受ける人)さんにアウトカム=成功のイメージを聞く質問が生きてくるのだよね。

そう、「自分の基準」と「他人との繋がり」の視点(フレーム)をきってあげるのは、やっぱり役に立つ、そのことを聞くっていうのは、とっても重要なことなんだよねぇ!

成功は一体だれが決めるのか!=自分とそして他の人との繋がりから生まれる関係性が、あなたの成功をもたらし、そして、「自分の自己実現という基準を凌駕しながら」、且つ、社会または、他者からも「汎化作用で設けられた社会や世間の基準」に沿っている必要があるということ。

どっちもだ!になってしまうのでした。で、どっちが先にあるか、どっちがコアかと言えば、自分がコアであると私は感じる。それがあってこその、他人との関係なのだから。

自分が無くて、他人との関係は生まれないのである。

さぁ、言いたいことがここまで来て拡大して行った・・・・これは必然!

最後までおつき合いくださったそこのあなた!素敵です。ダイスキ!
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前回のマズローの欲求階層論における、最高階層「自己超越」というのを話題にしたが、そういう領域が成功なのか?その前段階の「自己実現」が成功なのか?というところで見ると、今日のテーマはまた面白いかなと思う。

このあいだ私が2年目の研究会参加をしている「原理原則研究会(中島孝志氏主宰)」の第1回テーマ「成功の原理原則」の勉強会で気づいたこと、再確認したことがある。

これを、まさにNLP(神経言語プログラミング)でいうところの、「言語学+心理学」アプローチで紐解きながら、解説してみよう。

質問:  「成功を決めるのは一体誰か?」  である。

答えは?:

1)自分自身である
    --わが人生の舵取りは私だ!

2)他人である
    --他人の協力が無ければ何もできない!

私は先天的にも、NLPを勉強してきた手前もあり、「言葉」の使い方のトリッキーさには敏感だ!

最初の質問と1)と2)の答え、そして、その下位の解説表現で、一番最初の質問の意図や、聞いていること自体がぶれ始めるのだ!

つまり、質問の焦点がずれてきていると私は思った。「成功を決めるのは一体誰か?」というのでは、

A) 「成功したと判断する人は誰か?」  のことを言っているのか、
B) 「成功を手に入れさせるもの、もたらすものひいては、それを手に入れさせてくれる人は誰か?」  のことを言っているのか

2つの側面を包括しているからだ。

最初の質問(成功を決めるのは一体誰か?)が、次の1)自分と、2)他人という答えおよび、その解説という「コンテクスト」を加えられたことによって、質問の内容「コンテンツ」が変えられたといっても良い。

いや、ここまで質問がでてきてみて、「コンテンツ」が見えてきたといえる。つまり、最初の質問では、先のA)を聞いているのやら、B)を聞いているのやらが判らなかったが、1)と2)の下位の解説でやっと質問の意図が見えてきたということ。

つまり、B)を聞いていたのだった!ということ。でも、ここまできて「コンテキスト」が「コンテンツ」を決めるというNLPの理論ってよくわかる。これがコミュニケーションの落とし穴でもあり、妙でもある。面白い。前後関係が見えてきて、はは~ん、それを聞いていたんだ!とか、訊いているうちに、焦点がずれてくるっていうのは、日常茶飯事だからだ。

まぁ、それはともかく、B) 「成功を手に入れさせるもの!」と読むならば、「成功とは」そのものを定義しなければ、「成功は自分次第か?」「成功は他人によってもたらされるか?」の質問には答えられないのだ。

★成功の定義はなにか?

私自身では、「成功=客観的にみて社会的認知(自我を超越した部分)のもと、自己実現している状態である!」としたい。

ことばに明確にしてみると、自分の成功というイメージがこの段階のレベルとして判る。したいという言葉にしたのは、「自我を超越するかどうか」は、個人の欲求の質・感覚・感情に因るからだ。良い・悪いではない。

自我を超越する成功か、自我の領域から抜け切らない、いや、直結し完結している成功か?と明確化するならば、世間でいう「成功」はどこをさすのだろうか?

たとえば、他人が「成功している人」という例をあげるときに、いろいろな前提や、好き嫌いが絡むように、究極は「人間性として」という部分に触れるところかもしれないが、それが「成功の基準に入っているか否かは、その人(成功者)次第」と思うからだ。

そうなると成功を決めるのは一体誰か?という質問には、もっと複雑なものが絡んでくる。

続きは、次回にしよう。
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先のブログの増刊号!(なんのこっちゃ!ですが)

アブラハム・マズローの欲求の階層論を書かずして、終っては勉強不足。しかもNLPトレーナーとしては、その階層論をどう皆さんに生かしてもらうかを考えたところ、欲求階層論の各階層段階を踏み、そして自己超越した第6階層のところまで・・・(あ~ん、あんまり明かせない)「すっごい結果を枠ぐむこと」が可能になるし、その達成方法と結果の基準を具体化できるプロセスがNLPとコーチングで手に入るのだ。

「思いの外の自己超越」を先に潜在意識にインプットできるってこと!
すごいでしょ!こんな「セールス・ポイント」を見つけちゃったため、書かずには居られない!

WONTON---バンドラーのトレーニングで学んだ、「う~ん、やらずには居られない!」って状態に人を持って行けば、みんなそれを遣る!でありますな。

★マズローの欲求階層論

第6階層:  「自己超越」・・・・今までの自分、現状の自分自身を超えたいという欲求
第5階層:  「自己実現」・・・・自分がなりたいもの、在りたい存在への欲求
第4階層:  「承認欲求」・・・・自尊心・尊敬されることへの欲求
第3階層:  「所属と愛の欲求」・家族の中に居場所があり自分が愛されることへの欲求
第2階層:  「安全への欲求」・・安全・安定・依存・保護・秩序への欲求
第1階層:  「生理的欲求」・・・空気・水・食物・庇護・睡眠・性の欲求


実は、マズローの「欲求の5段階論」というのが先で、第5階層まで彼は先に発表していた。本当は彼がその後発表した「欲求の階層論」は、このように第6段階になったのだが、皮肉にも先に5段階説が世界中に知れ渡り(私もMBAの科目で組織行動学やら、人的資源管理を学んだが5段階説だった)、第6段階目を発表するも「5段階説」を彼の死後も塗り替えきれていないという事実があるのを付け加えておこう。本当に、皮肉だ!

余談はさておいて。

フロイトの精神分析が、人間をネガティブな面から捉えたのに対してマズローは自己実現をする存在と捉え、人間の欲求自体を否定しなかった。また、それは階層的に高まっていくと考えたのである。

下層の欲求が満たされれば、成長を続け、ますます健康になると考えたマズローは、人間性心理学とトランスパーソナル心理学の源流を作った学者ということだ。

ここで、下層の欲求が充たされれば、というのに人間の潜在能力を使ってまだ「充たしていない欲求を充たされたとしたならば・・・」という前提条件で正にNLPアプローチを使うのだ。幾らでも人間の脳みそはこのことをイメージできるのだから、すごい。

ここの第6階層に注目すると、何よりも「基準が重要」というのがお分かりだと思う。なぜならば、自分の思っていた自分を「基準」として持っているからこそ、それを超えた状態・存在についても意図を感じるのだということ。

今の存在を知り、それを超えて行きたいという欲求、これこそ成長してゆくこと人間が死ぬまで学習生き物である所以でしょう。

NLPチックにアプローチするならば、「自己を超越している存在」を、潜在意識の中のありたい自分・なりたい自分を呼び覚まして、第5段階目までの基準をそれぞれ確認し、味わい、手に入れるプロセスを明確にするとともに、その先を広げることも可能なのだ。フューチャー・ビジョンを描くタイムラインで、バッチリ「自己超越まで意図できちゃう!」というオマケがある!

だからNLP(神経言語プログラミング)の奥深さ、なによりも人間の潜在意識のなせる技ってところが、面白くてやめられません!

どうぞ、11月には、私自身「この面白さを伝えた~い!」ってことで、WONTON状態にて「プライベート・セミナー」を開催する予定でここに腹括りするぞ!興味ある人は来てね!詳細は後ほど。
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新しく書き始めるってのも、また進化形で残るってことで良しとしよう。
また、最初に書いた「幻の原稿」と違ってくるのも必然ということなのだろう!

今日のテーマは、コーチングとNLPの本質なる意図は何か?ってこと。

もちろんコーチングはそのセッション(コーチングを実施する時間・場のこと)のテーマはクライアントさん(コーチとコーチングの機会を持つ人)が決めるのだが、コーチングやNLPの原点にあるのは「人がより良く生きる」にあってそれは何を呼び覚ますことかと考えてみた!

★コーチングとNLPの目指す、本質なる意図はどこにあるか?

私の結論を先に言う!・・・・それは、「ひとりひとりの自己信頼を呼び覚ます」ことで、「人間同士の他者信頼を築く」そういう繋がりをもつ「人間の価値とスピリチャリティ」を確信するプロセスを提供すること!

これまでこのブログでも「焦点の当たっているものは?」とか、「スピリチャリティ」について話してきたが、「自己信頼」こそが自己の実現、そして「自己を超越すること=他者との信頼」による「成功」を手に入れるのだと前のブログでも書いた。「自己信頼とは、完全無欠な自分になることとは意味が違う!」と言っておこう。これも勘違いされるから。

7つの習慣で言うならば成功=Win-Winの関係が成立するには、「自立し、そして相互依存の関係が築けること」が入っているが、それは成功の源であると思っている前提から、自立の部分で「自分がなんらかの価値があるという大前提を以って自分を信頼すること」から習慣が始まるのではないか。

成功と自己実現については、この間2期目の参加をした「中島孝志さん主宰の原理原則研究会」で成功の原理原則のテーマのとき感じたことがあるのだが、長くなるので別の機会にしたい。

今日はあくまでもコーチングとNLPの目指す本質なる意図についての話。

自分のコーチングを思い起こすと、「その基準はなんですか?」「どうなって、何が『どれだけ・どのように』、手に入る/感じる/見れる/聞ける/やれる・・・ことがその結果に意図されているんですか?」とよく質問する。必然的にその際には、自分という基準、客観性という意味で「他者からみて」の基準が入ってくるので、「自己満足」の領域には居させないということをやっている。

では、自己実現の基準を問いただし、それを「最大化」したものをなんと名づけるのか?と思ったときに、フッと思い出した「マズローの欲求5段階説」だ。

とっさにインターネットでマズローを検索かけてみた。

アブラハム・マズロー(1908年~1970年 A.H.Maslow アメリカの心理学者)の研究分野は心理学に限らず、哲学・教育・政治・経済と多面に及んだが、基本的な態度は一貫して貫かれており、カール・ロジャーズ Rogers, C. R.、ゴードン・オールポート Allport, G.W.、ロロ・メイ May, R.らとともに「人間性心理学 humanistic psychology」の代表的存在とみなされているとあった。

一般に心理学者の研究ではややもすると、ねずみなどの動物の行動、未成熟の人間、病気の人間、些末な行動などの研究が大きく取り扱われやすいが、彼はこういう傾向に激しく反対した。彼の動機論や自己実現過程の理論は、心理学の専門以外の人たちからも関心をもたれているとある。

何よりも私の心を捉えたのは、マズローのテーマが自分のこのブログで伝えてきたことと、すごくシンクロしているという事実にだ。(岡山大学の論文ページから)

「(先の一貫したあり方は)人間の価値論をテーマとする研究に発展する。晩年における論文では人間の本質的価値を認め、人間の尊厳性を説いている。今日の新しい心理学の領域である健康心理学に理論的な根拠を与えている。」

という部分だ。

ずっと「あなたの価値の最大化」と、「あなたの人間としての尊厳性(スピリチャリティと私は意味づけしている)」について「あなた自身の求める成功には不可欠で、それが人間が生まれてきた意味を知るようなものだと」いい続けてきた。マズローの探究心とリンクしてなんだか1000倍もの味方を得たような気になっている。これも3歳で親をアンカーリングしたNLPの天才と自分で言っているようなものだ!((^-^)ノ

やっぱり人間は本来「そのような存在なのだ!」

自分が今コーチとして、NLP(TM)トレーナーとしてコーチングをしているのは「人間がより良く生きるため」に根ざしているのだが、本質的に呼び覚ますのはその核にある「自分がそのような存在である!という確信=自己信頼」を以て、「あなたもそのような存在である=他者信頼」に繋げることにあるのではないかということである。

やっと本題が出てきたって感じ。

みんな、自己信頼を磨こう!
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めげちゃいました。

久々にブログを書いて、いつものようにまた力はいっちゃって、長文(辟易者があってもなんのその!?)の大作だったのにぃ、一瞬にして全て消えちゃったのでした。

で、またイチからやりなおしぃ~。ちょっと学習して(以前も1回あった)テキストでどこかに書いてからコピーしようっていうのを、忘れた結果、2度目の轍を踏んだという感じ!おばかな私!

今、さっき言いたかったこと!頭をかきむしって書き直そうと頑張ってる。

ちょっとぼやきたかった!
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コーチってどんな「存在」か?

幸いにも人によく質問をいただく、そのおかげで私自身はそのことに対して、確信を深め、より本質なるものを伝えられるように成長してきているし、自分の答えに行き着いているともいえる。皆、コーアクティブであり、相互に学びを促し、与え、進化を築いているのだ。

私に質問してくれる人は、すべて天然のコーチでもある!そして、それが私にどんな意図と結びつけてくれる「糸」なのかを知っている場合には、大いにその存在意義が拡大するものなのだ。スピードを上げるだけが目的ではない、どこにリンクさせるのかを、味わうこともこの人生を「おおきく枠ぐむときに重要な時間」なのだ。

私は「コーチってどんな存在か?」と聞かれて、

「コーチは時に、クライアントさんがまだ信じ切れていない『自分の可能性』を、本人以上に基準を高く持って、『その人の可能性やゴール』を見ているし、信じきれている存在」

と申し上げる。

時にこのことは、クライアントさんにとって、とても「厳しいコーチング」になることも在る。何人もの私のクライアントさんが、それを味わっていらっしゃると思う。しかしながら、それは、自分が見る必要があると「意図」していたり「潜在意識で求めている」ものであるのに違いない。だから、その人たちは、この協働関係を永遠に築いて行くWin-Winパートナーだと私自身感じるのである。

「その想いが伝わらなかったら、どうするんですか?」とも言われる。「その疑いこそが、目の前のクライアントを信じていないということに『既に』焦点が当っている証拠だ!」と返す。

焦点はどこに当っているのか、そしてそれが「最終焦点」とでも言うべき「さらに大きな、より大きな目的」に繋がっているからこそ、「すべてがチャンクアップ~おおきな塊や、より大きなカテゴリーに入ること~されることになる」それこそが柔軟性なのだ。「欲しい結果に、そしてそれはより多くの欲しい結果を包括するようなレベルで焦点をあてて行くこと!」がキイポイントなのだ。

今年5月と8月のNLPアート・オブ・トレーナーの資格を取るトレーニングで悟った!

この柔軟性があれば、本当のところ「この地球上の争いは意味を成さなくなる」というパワフルさなのだ。「より大いなる目的」に焦点をあてるとき、自分というちっぽけな存在も、多くの力と結びついて「誇り高き人間」としての存在証明ができる。国と国、宗教と宗教、人と人、それぞれがより大いなる目的を感じるならば、「そんなところに何時までもいるのは辞めましょ!」と言えるのだから。相手の中に自分を見、自分の中に相手を見る。そして、私たちはもっと大いなる存在になりうることを信じましょう。

私たちは皆、ちゃんと欲しいものが判っている、もしかしたらまだ自分で気づいていないにしても、みんなわかっているのであってその答えを紡ぎ、織物を織るようにしながら、人生を楽しむのでしょうから。人間関係もその織物のように「色々な人の糸(意図)を紡ぎ、輝く、光る織物(個性)を織る」そんな感じでつなげて行けたら楽しそうだ!この「綺羅、星」については、別の機会に話そう。

ゲーテのことばだという「あなたが何かを決意したとき、世界中があなたの味方になる。」というメッセージが、私自身のメッセージとシンクロしていて、「柔軟性を発揮する!」と決めれば、全ての意味が変わるのだ。

「自分に挑む」ためにコーチを探したというクライアントさん、そして自分の一番欲しい結果を「手に入れた」力強いその言葉には、何よりもその人の「自分を信じた、信頼したからこそ手に入れたのだという誇り」を感じる。クライアントさんを尊敬するのだ!このことこそが、とても崇高でそして、人がより自分らしく自分であることへいつもチャレンジしている「愛おしい存在」なのだと胸が熱くなる。

コーチングやNLP(Neuro Linguistic Programming=神経言語プログラミング)を学び、天命の成せる天職だと感じていて、やりながらとても重要に思うのは、「人が毎日どんな意図を持ち、何に焦点を当てて生きるのかで、全てが決まっている」ということ。だから、今日も質問し続ける!

そしてまた、自分の成長に意図をもち、「自分に挑む」ために帰ってきたというクライアントさんにも、「あのときなんであそこまで厳しいんだ!」と思ったことが、そのこと自体「自分以上に自分のことを真剣に見つめているコーチの存在を思い知らされた!厳しさは、究極のやさしさなのだ!」とコメントをもらった。ほら、またしっかり繋がった!

ステキな表現をするクライアントさんにも出会った!「忘れていた背骨の存在を思い出させてくれるというか、何しろパワフルですよ。」と人にコーチングについて伝えてくださっていた・・・。

そう、「コーチってどんな存在なの?」を問いかけられ、その答えを「言葉で、行動で、生まれてきた意味としての仕事で答える」そのたびに、「自分の一貫性こそが常に最後に欲しいものを手に入れさせる。」と確信させてくれる。それは、目の前の人の中で育まれ、進化し、その人の想いが織り込まれてステキな関係のうらづけとなって広がってゆく!

たとえその瞬間で伝わらなくても、十分に自分のあり方を「一貫性を以て在り続ける!」ことで、人と人が繋がるのだから、繋がった結果はいつか判るのだ。その反対に「いろいろな腰引け感で自分のあり方を変えること=間違ってもこれが柔軟性だと勘違いしないように!・・・適当にその場しのぎ、人によって言うことが違う、これを言っちゃ損をする、本来の意味ではなく遣ったら「まずいでしょ」・・・なんて思い込みでコロコロ変わる人は、本質的に「表面上問題がないようでいて」誰とも繋がってはいないと言いたい。

もう一つ明確にしておきたいことは、

「一貫性を以て自分で在り続けることは、柔軟性の欠如とは意味が違うのである!」

ということ。

それを相対するものだと思いがちなのが人間だ。人は、「柔軟に自分のコア(核)でいることができる」ことを確信してほしい。それがどういうことなのかと言うと、そういう自分で居るときに出てくる反応やフィードバックをいかに吸収し、学び、気づき、成長と進化を遂げられるかということだ。そして、相手の世界観に入って相手を理解し、その上で自分を理解してもらうためにどうアプローチするのか!である。

「一貫性を発揮することには、柔軟に進化を遂げることが必然的に必要なのである!」

それは、よりたくさんのものを差し出し、伝え、相互に進化する機会を与えることになるという「より大きな目的につなげて~」という意図である。より大いなる目的に対して「一貫性を持たせること」が鍵なのである。

「ただひたすら人間らしく在る、そこに一致感、一貫性を以てその状態にあなたが居ることを決められたとき、全てがあなたの味方かのように、あなたのその想いや自分自身が居る状態を目の前の人と共有し、引き出して行くことが可能である」

カリスマ・エンハンスメント~あなたが、世界を変える瞬間である!~

ただ、コーチはその瞬間に立会いたくて共に居る存在です!・・・
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