<   2005年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧

大阪生まれの大阪育ち、まさに浪花っ子の私が、想定していなかった東京進出!?することになって、縁があって中野、高円寺と深い付き合いになったが、十数年前に不思議に思ったことの中でも1番目にあった「高円寺でどうして阿波踊りなの!?しかもこんなに盛大に・・・!」というのがありました。

そう、この26日前夜祭に始まり、27日、28日と「高円寺阿波踊り」でした。いやぁ、一段と拡大し盛況であったように感じます。

本場徳島の阿波踊りも見たことがない私ですが、そのことが不思議でした。今は、「バカおどり」から正式に阿波踊りを学びに行った人たちで支えられて「阿波踊り」となり地域活性と連携して、成功事例なのかもしれません。サンバ・カーニバルとか、阿佐ヶ谷の七夕祭り、いろいろなものが各東京都内で催されるけれども、それらは過去に東京へ地方から来た人たちの郷愁を呼び覚まし、またエネルギッシュな祭りとしてのその土地での共有があるのだろうと思います。

本来は氷川神社のお祭礼の日ですが、いまや付属イベントのほうが幅を利かせている感じです。でも、そのおかげでお祭りも盛り上がるし、氷川さん(神さん)も喜んで一緒に踊っていらっしゃるかも知れません。

しかしながら十数年、この地に住んできて、「日本人のモラルの無さを毎年みせつけられる」というすっごく悲しくなる、嫌な思いもさせられる「住人にとっては!?」のイベントであることも否めないんですね。無礼講、固いことを言うな!といわれるかも知れませんが。

そうです、出店が出て(お商売されている方々も盛り上げるためもあって協力して出店されているのだと思います)そこで購入された飲み物や食べ物の容器が、路面にまた私どもが住んでいるマンションの植栽の間などに放置、または捨てられている状態が悲惨なのです。

路上に座り込んで飲み食いしている様子もありますが、せめて片付けてもらいたいもの。

昨晩は申し渡しが厳しくなったのでしょうか、交通規制も解除されるという時刻になって、踊り手たちが、3日間、足も感覚を失っているであろうくらい、きっと疲れきっているであろうのに、女踊りの格好をした女性が素手で、誰かの食い散らかし、歩きながら点、点と捨てられている「枝豆の殻」を拾い、またある男衆の格好の踊り手は、ゴミ袋を引っさげて、路上にばら撒かれているプラスチック、紙コップの山をごみとして片付けているのを見て、やっぱり疑問でした。

楽しんだ人たちでもあるけど、楽しませてもらった側の人たちももっと、その場を気持ちよくすることを考えられないものか!と思ってしまうのでした。

お金を落としてくれるからでもないし、みんなが気持ちよく毎年このお祭りを迎えられればいいのですが。いつも、楽しいと思いながら「苛立ち」が湧いてくるのです。商業と結びついて、いまは撤去も、ごみの回収も過去に比べてスムーズにまた翌日カラスに荒されることも無い状態で、片付けられている組織力の向上には感心させられます。

NPOとして立ち上がった運営機関が頑張られているのでしょうが、通りでゴミ袋を持って来場者の人たちへ「ごみの回収をしております、ごみはこちらへ!」と叫んでいるのを見ながら、座り込んでいた路上にそのまま食い散らかした状態で立ち去る人間の「気」が知れません。

その帰りに立ち寄った「大阪人の私が最高に旨い!」と太鼓判を押す「関西風お好み焼き」のお店「佐津季」さんで舌鼓を打っていたとき、そこのアルバイト女性から大阪岸和田の「だんじり祭り」の話しを聞ききました。

なんと東京人の彼女はファンだそうで、大阪人の私は行ったことがないという逆転関係でしたが、「だんじり1基1億円!それを、各町内会の引き手たちが自分達でローン組んで毎年祭りをやっているんだよ!」「代々受け継いだだんじりが、壊れては自分達で修理を行い無い、手入れが必要なら身銭を切ってやる!」それくらい、彼らはあれに命と人生をかけてんだそうです。

祭りにいろんな人がきてくれることなんて当て込んでいなくて「純粋に俺たちの祭りを俺たちが楽しむんだ!こっちの言うこと守れない奴(だんじりを引くに当っての観客への注意)は、とっとと帰れ!」ようするに「自分達の祭りを楽しむという最大級の目的に、根ざしている」という意気だそうです。

まぁ、ここまで人生で「ご当地の祭り」を自分達のためにやるという「こだわり」もたいしたもんだと思います。

そして、この「高円寺の阿波踊り」は、いったい誰のためにやるの?ってところで、まだしっくりしてない住人の1人がここに居る感じがしました。

今年はあの阿波踊りのリズム、音~お囃子にも今一乗り切れなかったのは、この祭り見物がダイスキな母が、大阪に戻っていてここにいなかったからかも知れません。あのお囃子は日本人のDNAを目覚めさせ、血を騒がすものがあることも知っているのに、どうも素直に楽しめなかったというのが本音です。

NLPチックに言えば、感情のコントロールは全て自分次第です。私は、どこでこの祭りを楽しまないと決めているのか!それは、やっぱり「人間が本当に一緒になって楽しむって、誰一人このことで迷惑をこうむっている!という感情を抱かずに済むにはどうしたらよいのか?」というところにテーマがあったのかもしれません。そして、私は傍観者でしかないというのも事実なのです!

そう、始めからこのお祭りに参加していないということなのだなぁと感じたのでした。

何かをするときに

「このことで何を味わうのか、どんな気づきや学びがあるのか、何より自分でそのことを『楽しむ!』と決められているか!?」

このことこそが、重要なんだと改めて心に刻むかよりんでした。人生、一瞬一瞬を楽しんで居ないで、人生全体が「満たされる」ワケはないのです。大いなる目的も今日のこの一瞬の「自分のあり方」から、「今この一瞬、現在」に生きていなくて「未来」はないのだから・・・・。

と、祭りの夢のあとでした。
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朝までBS放送を見てしまった!

アクターズ・スタジオのハリウッド・スターをインタビューする番組だった。あまりにそのインタビューに応じている女性に惹かれ、話しがとってもスマートかつエッセンスに富んでいたからだ。

そのゲストとは本当にダナ・キャランの強引なプッシュがなければ実現しなかったという「バーブラ・ストライサンド」である。輝かしい受賞歴を持つ、大女優だ。「スター誕生」「晴れた日には永遠が見える」とか、いっぱい名作がある。

なんでも17歳のときにアクターズ・スタジオのオーディションをもう少し大人になったらと落とされた彼女は、その後もアクターズ・スタジオの会員ではなかったらしい。この会場で名誉会員に迎えられていた。

いくつか心に残るメッセージがあった。

【バーブラ】「私は両親(父は生後15ヶ月の時に他界、母はその後不安定だが彼女をタイピストにしたかったらしい)に教育されなかった、つまり、誰にも私がなにをするのかという指示やしつけをされなかったのが幸いした。自分がなにをするのかをいつも自分で考えてやりたいことを全部してきたと思う。」と。

まるで、私(かよりん)の「親にパーミッションをとる必要性を、今日これまで感じたことも、考えたことも無かった。それくらい私は信頼されていたんだ!」と超ご気楽な感謝を母親に送ったのと、親にあれこれ指図されなかった背景が似てる!

私事で恐縮だが、私の母は「あんたは3歳のときに、言っても聞かない、自分でやるまで辞めない子だと悟った」という。

(かよりん)「お母さん、あなたは飲み込みが早い!」そしてNLPを学んでからは「3歳で親にそのようなアンカーリングをしたおかげで、規制や既成概念のない、自分で考え、行動し、選択する・・・こんな子ができあがりました!」となり、最終段階では「3歳にしてNLPの達人を自認!」という大風呂敷へとこの経験が昇華されて、今では親のみならず、「自分にもアンカーした」次第。

その上、このエピソードをアメリカのリチャード・バンドラー(NLPの創始者)のトレーナー・トレーニングで英語でプレゼンしたときには、イタリア人、メキシコ人、ドイツ人・・・と各国の参加者から「あなたのストーリー面白くて好きよ!」とたくさんコメントもらったんで、これまた特上のアンカーに仕上がっている。

*アンカー(アンカーリング)とは:  船の錨のことで、「ある特別な手に入れたい感情、感覚、イメージ」をすぐさま呼び覚ませるように、意図的に自分の言語、身体、思考パターンに「錨」のように組み込む(下ろして)仕掛けをつくり、必要な時にすぐそのパワフルな状態を呼び覚ます方法で、錨を下ろしたところに戻る・かえるという意図で、アンカーリングと言う技術。

バーブラさん家はちょっと私んちとは違う事情でしょうし、バーブラの偉業にはこちらは追いついておりませんが。

ここでNLPを極める道に居るものとしてコメントしたいのは、かの組織行動学とか心理学などの大家、エドガー・シャイン博士も「人に最初の洗脳=教育というものを施す場は、家庭だ!」といわれるとおり、しつけとか常識とかと言われていることが、本来の『人間として道に外れることをしない』というのとは別物で、いっぱい親の都合で行われている現実。それが子供に規制や不自由さを知らず知らず埋め込み、私がコーチングで出会った「優秀大学を卒業し、有名企業に就職しているのに」とっても「不自由感、満たされない感覚、それが講じて自己信頼を失う」というオトナになっているのを見てきた。みんな、自分を解放して!といろいろ向き合った経験がある。
そんなときの私のメッセージは「自分にとって最高にパワフルで、力になる洗脳をしろ!」です。教育、しつけ、はたまたTVコマーシャルまで、すべては洗脳です。であるならば、選択する意思を磨け!ってこと。

話しをもどそう、バーブラはとても感性が豊かであり、ある意味で不器用なところも良い。

【バーブラ】「映画の歌うシーンを3ヶ月前に録音し、実際口パクで合わせるのは、私には無理。一回、一回、そのときの感情が湧いてくるのだから、3ヶ月も前の自分の歌った感情になんか合わせられない!」これもまた、ステキなライブな生き方。

ついには映画監督も説得され、異例の実写録音。それはアカデミー賞、グラミー賞と総なめだったそうだ。

そう、この究極のこだわり、不器用さ、それでこそ「やりたいことは全部やっている」なんだろう。

また別の一言にピンときた。よく私(かよりん)も人に「あなたが決めたら、待っていたようにステージが目の前に現れて、全部始まるよ!」と体験的に言いまくっているのだが、彼女も「ゲーテ」の一説から同じことを語っていた。ちょっとビックリだ!!

【ゲーテ~>バーブラ】☆♪「あなたがそれをヤルと決めた瞬間に、世界中があなたの味方になる!」★☆・・♪♪~

なんとすてきなメッセージ。わたしの例えもこれからこのメッセージにし~ようっと!

そして、これらはいつも言うとおり、NLPチックなメッセージと相通じるものなんだけど、そのほかにも、【バーブラ】「自分の内側にあるもの、それが外の世界へ流れ出し反映されるのだ!だから、自分自身を信頼し、自分の人生、言動に責任を持つのだ。」とも語っている。

前回の熱いブログに個人的にエールを下さった方が何人かいらっしゃったが、私はまた揺るがない思いを感じた!「内なるスピリッツが、必ずや外に反映される」口にしていないから、相手にはわかるまい!と思っているような思いも必ず反映されているのだって。「内なる自分と、表明している自分の不一致感」を、不感症のごとくいつも遣っている人!要ご注意!である。

また、バーブラの話しにもどすが、兄と彼女の二人は霊魂みたいなものをまったく気にしたことが無かった(シャーリー・マクレーンと違って・・・と本人の言)が、ある日その兄が「死んだ父の霊と交信しよう」と言ってきたそうだ。彼女は、机の上の手が勝手にアルファベットをさすように動いたことにおどろき、生まれて35年(当時)父のお墓にも行ったことがなかったと思い出し、行くといってその足でお墓参りしたそうだ。その墓石の横で写真をとり、兄の家にもどると勝手にそのテーブルが動き出して、「Sorry・・・Sing・・・Proud」とそのテーブルの足で文字を書き出したそうだ。彼女も、さすがに怖かったらしい。

【バーブラ】「でも、父が『すまない、誇りを持って歌いなさい』というメッセージをくれたのだと思うとこの体験で、これまでどこか父に似ている、考え方も英語と数学の教師だった父のDNAが大いに私に受け継がれていると感じたことも、こうやって見守ってくれていたからなんだと思う」と語っていた。

すごい経験だ。まぁ、霊の存在は云々しないにせよ、このあと彼女はまた名誉ある賞を受賞する映画を自社監督制作している。まさに少年のお父さんにささげるお話しだ(イェントル=Yentl 1983年)エンディングで「お父さん、見ていて~」と船上で歌う少年は圧巻だ。

でこれには後日談まである。偶然墓地で撮った写真を送られてみてみると、父の墓石の隣になんと自分が演じたその映画の少年役(正確には、少年は死んだ友人の名前をもらうのだが)とまったく同じ名前が刻まれていた。すごいシンクロニシティだとも言っていた。

本当に不思議だが、やはりスピリチャルに生きていると、そういうようなところに触れてゆくことになるし、潜在意識の中にまだまだあふれているが、眠ったままのリソースが掘り起こされてくるのだろうと確信した。

バーブラ・ストライサンドは近年自分のホームページでも政治のことを語るのがほとんどだそうで、私たちにはそれを批判したり、文句を言ったり、注文をつける権利がある、それを果たすことは義務なんだと言っていた。ボランティアの活動もすごい。

8月5日の彼女のメッセージ:
An Important Anniversary ...Barbra Streisand
Posted on August 5, 2005
August 6, 2005 marks the 60th anniversary of the US bombing of Hiroshima. The Atomic Bomb, which decimated the Japanese city and its people, was never used in combat again. This day is also the anniversary of another "bomb" that was dropped 4 years ago, this time into the lap of President Bush in the form of a memo titled 'Bin Laden Determined to Strike in the US.' While on yet another extended vacation at his Crawford ranch, the President chose to neglect his duties as Commander in Chief by refusing to act decisively and immediately on this impending threat, leading to the worst terrorist attack in American history. These anniversaries remind us to learn from our past actions in order to ensure a safer more secure future.

URLは、こちら。

http://www.barbrastreisand.com/

とってもステキな女性63歳とは思えない!夜中から朝方のこの番組で心が高揚してきた。もう、眠れそうも無い!

さぁ、仕事しあげるぞ~。
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ブログで「スピリッツ」に拘っているワケを少し話しておきたいですね。まず、日本人は戦後教育のせいか「スピリチャル」なものへのアレルギーを持っている人、それをすぐ「宗教や宗教観」に置き換えてしまう人が多いのでね。

私がスピリチャルに拘るのは「人間の脳みその機能やシナプスというものでつなげている働き、それが、潜在意識から、自分の外の世界へと繋がっている」という部分で、ある種とても科学的な機能を確信しているからです。

それは物理学のようにこの力がこのように働くから、こうなるといった「公式」や「証明論証」は、出来ないかもしれませんが、先人たちが実際に実現し、成し得た偉業を紐解いてみると明らかに関係性があると思うのです。

実際、「目に見えない力を信じないものは、自ずと自らの力を信じ得ない存在だ!」と私は思っております。これは、究極の「自己信頼を欠く」といった意味で、ウィーク(弱さ)へと繋がってゆくものなのです。ただし、忘れてはいけないのは、「恐れを知る」という精神をあわせ持つことが重要でもあります。それは、自他、自然界にある「目に見えない力への尊敬」でもあるといえます。

自分自身「人間は元々本来スピリチャルな存在だ!」をかの中村天風先生の発せられているメッセージを読むごとに感じるし、そのことを実践されてきたのが今日の日本の経済大国の礎を築いた松下幸之助さんを始めとする多くの中村天風氏の弟子たちだと確信するのです。この有名で偉大な方々の結果は、このことの証明のほんの一例に過ぎないでしょう。

また、私がNLP(神経言語プロ部ラミング)やコーチングで確信していることは、ここへの働きかけこそが「潜在能力を引き出す」より大きな「我」に生きる人間として人生の成功を手に入れるに他ならないと感じているからです。

アンソニー・ロビンスと彼の師匠のリチャード・バンドラー、どちらも直接会って、見て、学ぶということを遣ってきました。彼らもある意味ではとても「スピリチャルな存在」だと思います。

アンソニーが提案しているのは、人間のその「イメージ脳(右脳)=スピリチャルなところにより近い部分と私は定義しています=を最大化すること」であると思いますし、その師匠のバンドラーは、もっと大いなる想い「人間は、本来の在り方で、世の中を変える力を持つ」というカリスマについて伝えていると確信します。

直感や洞察、また何か目に見えない力が必ずある、それはあなたにも、私にも、そしてみんなに、この宇宙に。

それらが「真に宇宙の原理原則に外れることなく、正しきこと(あえてこう呼びます)につながれれば、この地球、太陽系、宇宙に平和と進化が齎される」という理念に疑いを持ちません。

今、私たちがそういう「存在」であることに気づく必要があると正に思えてならないのです。そういう意味で、最近はこういったことをはばからず(敬遠される方はその方の意思ですし)言えるというい時代に感謝し、それゆえにもっと磨かれた自分達になる必要性があるということではないでしょうか?

昨日みたスポーツニュースでも、「プロ野球が消えた日」というテーマで、やはり戦争が決して人々を幸せにしないし、今の時代の人はそういう心配がなく野球がやれて良いね!と言う先人の言葉に、感謝が足りない自分達、そして本当にそれは「心配がない状態なのだろうか?」と疑問が湧いた次第です。

私たちは、『スピリチャルな存在』であることを、まず自らが見つめなければ始まらないと感じていますし、それが仕事における、家庭における、社会における「自分の存在意義」について考える、感じる、お互いに尊重するといった関係に繋がると信じています。

ですから絶対にこのことを、私自身は企業でのコーチング研修、NLP×コーチング・セミナーでも外しません。本当に人が「より良く生きる」にテーマを持つとき、ゴールが大きな「大我」に焦点を合わせれれば、必ず分かり合え、繋がり合え、幸せというものを共有できるのです。

そしてそのことは、本来繋がる人全てにちゃんと通じて、伝わっていると核心にふれる一期一会を自ら望み、臨んでいます。けっして外せないことなのです。

またまた、先のブログにコメントを下さったマリコさんのご指摘の通り、

> なにぶん、このブログのエネルギーの高さに興奮気味なモンですから...

にお応えして、ますます熱くなったかよりんでした!

いろんな考えがあるにせよ、「自分にとって自分に一番力をくれる考え方、それでいて、人間らしく、自分らしくある」に拘ってこそ、人生をより豊かにするのだと思いませんか?

そうであるならば、自分の存在定義こそ、より「大きな枠組みのなかで定義したい」そういう考え方です。

少しでもこの「エッセンス=本質なるもの」をあなたと共有できたら、幸せです!

ありがとうございます!全てに感謝します!
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そういえば7月27日にお知らせした私の「プロコーチ・メールマガジン」インタービュー記事以来、つづきの最終回号、第4回のサイトアドレスをお知らせしそびれていました!

えっ、「そんなもん続き読みたいともおもっとらんのに~」と仰る方もあるかもしれませんが、締めは締めとして、やっぱり終らせときたいと「自分の完了行動」をいつもコーチとして人に突っ込んでいる手前、どうしてもさせていただきます。(なんだ、やっぱりやるんじゃんか!)

「コーチ・サポート・クラブ」さんのほうで過去メルマガのURL公開があってからですので、すでに会員になってお読みくださった方には、重複情報をお詫びします。

最終的に、かよりん@Coaching+netの「コーチとしてのこだわり」とか、「コーチとして目指したいこと」などを好き勝手にお話ししているインタビューですが、少しでも想いが伝われば幸いです。

もちろん、これを読んでのコメント、フィードバックも心からお待ちしています。

何を頂戴してもNLPの前提のとおり「失敗はない、ただフィードバックがあるのみ!」であり、人間が進化して行くときにとても大切な「フィードバック」をいただけることに心底感謝しています!

http://www.1webart.com/mm2/MMDisp.cfm?User=fine.1webart.com&Group=-1&n=51&d=no

どうぞよろしくお願いします!m(_ _)m
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先のブログで書いた世界遺産のワケを書きたくなりました!

今年2005年1月に私は高野山の神々野(ここの)というところから、高野山の入り口にあたる和歌山県伊都郡かつらぎ町の丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)にお参りしました。この山奥のひなびた地に世界遺産があるのか・・・と思えるくらい、辺鄙なところでした。(住んでいる方、ごめんなさい)

きっと招かれ、誘われたからこそ「その機会をいただいた」としか言いようのない、山奥でした。

いつも感じていたことですが、先日のNLPトレーニングでより明確になったこと、

――― 「人間は宇宙の一部であり、学び続ける存在として、如何に宇宙の原理原則に則ってその価値の最大化を成すのか!」が生まれてきたテーマである ―――

と思っているということであり、そのことにも通じるこの地への導きだったと今振り返れば思えるのです。

で、その意味はというと、丹生都比売神社(http://www.niutsuhime.or.jp/)と高野山の「関係こそが世界遺産」なのだということです!

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そして、それこそが我々日本人が世界に説いて示すべき「人間と宇宙の創造主としての神の関係」であると思います。場所・史跡の世界遺産であるだけではなく、その存在理由と関係性こそが認知された世界遺産だと私は思います!

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参考「和歌山県情報館」(http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/tokyo/isan/isantouroku.htm)より

 世界遺産とは、「現代を生きる世界のすべての人々が共有し、未来の世代に引き継い
でいくべき人類共通の宝物」として、世界遺産条約にもとづく世界遺産一覧表に登録
されているものをさします。
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この「紀伊山地の霊場と参詣道」の前に多くの日本各地の史跡が推薦候補であがっていたのですが暫定リストに記載された他の遺産を追い越して異例の速さですすみ、平成16年7月1日登録が決定、同7日に登録されたそうです。

そのわけは、きっと2つの宗教の融和とでも申しましょうか、「世界に稀有な存在」ということであろうと思うのです。素晴らしいことです!いくつかある意義・理由の中でも、私はこれにもっと大きな可能性と意義を感じます。

●紀伊山地の文化的景観を構成する記念物と遺跡は、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示す神道と仏教の比類のない融合の所産である。

世界遺産になった所以には、弘法大師(空海)が1200年前、唐の国から新しい仏教を伝え、広く一般に布教するために、丹生都比売大神のご守護を受けて、神々の住む山を借受け、真言密教の総本山高野山を開いたのです。神の地であった高野山はすでに人々にあがめられている地であり、その土地に、仏教を開山することで、未来永劫神のご加護を賜れると、その当時高野山を収めていた「地主神」であった丹生都比売神社に許可をもらいこの地に開いたということなのです。

いわばマーケティング戦略みたいなするどさで「仏教を広く普及する」というミッションにおいての極みをやってのけた弘法大師ですが、その実現には何よりも「地主神」であった丹生都比売神社の開かれた心があってこその話です。

ああ、なんて柔軟なんでしょう!!(*^_^*)

なんでも私がこの2005年1月に丹生都比売神社へお参りしたときの神主さんのお話だと、当時の「地主神」丹生都比売神社は、弘法大師に「人の道、人の世を仏教で説きなさい、私どもは神の道、自然の万物の神々の道を説くから・・・」とそのことを許されたそうです。

そして、古くからの日本人の心にある祖先を大切にし、自然の恵みに感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、丹生都比売神社と高野山において、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されていったこと、これが神仏融合のはじまりであるとされています。大陸で生まれた仏教がもっと高みへと導かれたのだと感じます。

つまり、このように2つの宗教観が融合しより大いなる道を説いているといえる世界で稀な存在なのです。

今世界中が、宗教の違いで人を殺し、戦争をやっている、本来めざすべきことを謝って解釈しているとしか思えない、しかしながらある意味で「敬虔な人たち」でもあるかも知れませんが、もっとリベンジや憎しみではなく、高みへと焦点を変えていただきたいものです。

私たち日本人は、このより大きな目的のために何ができるか?この稀有な精神世界を祖先から受け継いでいる民族であることに気づいて、もっとこの地球で、この宇宙での存在意義を明確にして行きたいものだと考えるのは、決して私だけじゃないと思います。

そうでないと、日本人の存在意義は今どんどん薄れていると感じてならない今日この頃です!

ちなみに1200年たった今でも、高野山に入山する僧侶は、境内の太鼓橋を渡ってこの神社で拍手を打ってお参りし、高野山に入るそうです。すごい!お坊さんが、拍手を打つんですよ!

おお、なんて柔軟なんでしょう!(*^_^*)

そして、この感動が、またNLPを学んだ私に「柔軟性の発揮」こそがこの世を変えるし、救うのだと思えてまたうれしくなってくるんですね。

つまりは、人間の柔軟性の発揮、視点の多様性、より大いなる目的のために~と潜在意識を使えば、不可能と思っていたことも、可能となるということ、NLPの奥義で言っていることと相通じるのですね。

やっぱり、NLPの本質なるところを、広めて行くぞ~とここに至る自分に・・・・(^-^)ノ

で、世界遺産はすばらしい!でした。
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原爆の日以来、しばしご無沙汰でした。

8月6日から12日まで、NLP(神経言語プログラミング)のアート・オブ・トレーニングというトレーナー・トレーニングの後半プログラムを受けていました。

ここでますます私の大風呂敷、自己価値最大化プロジェクトがクリアになった次第!(^-^)ノ
この話しはまたのちほど。

さて、コメントを下さった「しもさん」、おじいさんのお話、ナマの声ですよね。

終戦記念日8月15日に、「徹子の部屋」をたまたま見たんですが、もう故人になられた往年のスターの戦争体験を語った特集でした。

淡谷のり子さんの16歳の特攻兵見送りの話しとか、着陸方法を知らず飛び立つってどういうこと?みたいな、父が丁度終戦時その年齢の1歳ちがいだったので、あれ以上長引いていたら、きっと戦場にかりだされたのだろうなぁと思いました。三波春夫さんの大陸での従軍の話しも強烈です。ロシア兵と殺しあったが、死ぬ前はみんな「おかあさん」とどちらの国の兵士も叫んでいたし、なんでこんな名前も知らない人と殺しあわなければならないんだ・・・でも、殺さなきゃ殺される・・・と無我夢中だった話しをされていました。

本当に理不尽な話しですよね。日本は戦争放棄をもっと明確に自覚する必要がありますし、それでこそ、この宇宙での存在意義を示す「唯一無二の核爆弾被弾国」なんですからね。

今のアメリカの「世界の正義」を標榜しているようでいて、本当は自国の国益にしか集中していないあり方を残念に思うし、それに乗っかっている日本の政府もちょっといただけないですね。

やはり、高野山と丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)が一緒に世界遺産になった由来のように、世界に宗教で対立したり戦争したりすることの無意味さを日本人として問いかけられる存在になりたいものです。

私たち日本人の「存在意義証明」をなんとも考えたい!そんな思いですね。
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8月6日、原爆記念日、ある特別番組を見て、「コミュニケーション」の歪みを見た!

今日、初めて広島を自分の目で見てから迎えた2005年8月6日。テレビの特集番組も、これまでと違った感覚で見る。しかも、今日から、またNLPのトレーナー・トレーニングを受けていて潜在意識が開いた状態であることも相まって、何を発見するのだろうという予感があった。

その番組でもっとも言葉を失ったのは、原爆開発者で、きのこ雲を撮影するためにエノラゲイに乗っていた科学者が初めて広島に降り立ち、記念館を見、被爆者と直接語ったときの言葉と表情、様子であった。「私は謝らない!あなたたちは、生き残ったことを喜んだほうが良い。パールハーバーを忘れるな!あの爆撃で友人が死んだ・・・・」という言葉の数々であった。

彼を非難する感情より、むしろ「彼にそのように言わせている何かの存在!」に、とても興味を持った。私は人をジャッジする気はない、ただ、そのように居るその科学者の状態、彼が何に繋がってこれらの言葉を口にしているのか?に興味があるのだ。NLPでいうならば、何にバックトラック(振り返り)して、その言葉を口にしているのかである。

自分の行為を正当化する・・・、自分には責任はない、私は正しい、悪いのは戦争だ、間違ったのはあなた方で、そのリーダーが最悪だ・・・・・・

これらの言葉は、日常私たちがどこでもつい焦点をそらす対象に使っているパターンそのもの。ことの重要性の如何ではなく、ただ、その習慣、パターンをここでもやり続ける「人間というおろかしさ」に自らも含め「周りの人は全て自分の鏡、そこに映っているのは自分の姿!」というメッセージ。

被爆者の「戦争は相互責任だが・・・あんな代物を作ってしまったことを詫びて欲しい」の思いは伝わらなかったし、あの惨劇はあくまでも科学実験的な観点で見るということを決めたのではないか?と思えるほど「感情を出さない表情をやっている」ようであった。ただし、そのかたくなな態度にも不一致感があるように思えたのは、私の期待=人間は本来「人間らしく居たい存在である」という思いがそうさせたのだろうか?

「とんでもない代物を創ったことを、謝ってほしい・・・」このメッセージにも、受け取りがたいものがあったのであろう。そう、この場(被爆者2名と原爆開発・投下の立会人という3人の場)に、どんな力が必要だったのだろう!?そう考えたし、このどこでも起こっている「コミュニケーション・ギャップ」を、こんな場に及んでも遣り続けている「私たち人間」の未熟さ、まだまだ成長が必要!?

戦争のせいにするのではなく、一人の人間同士がここで、「どう在るのか!」という瞬間であった。

科学者の柔軟性のなさにただただ痛み、悲哀すら感じた。その視点の固定化、もっと大きな枠組みによって見る力の乏しさ、感情のやり取りができない不器用さにあきれるのであった。これらは単に思考パターン、行動パターンを司っている「彼の観念」の産物だ。それを理解し、繋がるための柔軟性も、また、被爆者側も持ち合わせない。

世界のコミュニケーション・ギャップを象徴する「場」が正にそこにあったといえる。

一人の被爆者の女性は、「生き残っても原爆症でずっと苦しみ続けていることなんて、判らないのですね・・・」と涙をながしながら60年をかみ締められているようであった。このことも、この感情やいたみ、本当は何を悲しみ憂うのかの本質なるものを、どこまで伝えられたのであろうかとも思った。

そしてその科学者は、こんな不幸が2度と起こらないことを期待するといいながら、「ブッシュ大統領じゃそれは危うい」と言い残した。

いったい、人って自己責任で自らのやったこと、やることを「本質なる自分、人間らしい人間で居る」と決めて「世界に大きな影響を及ぼす決断をしている人が、リーダーが世の中にどれだけ居るのだろうか?」国の代表だとか、なんとかいいながら、自分という「人間」をどこかに置き忘れ、「宇宙の中で生かされていることを忘れた様(サマ)」悲しいもんだ。

私たちは選択できる、「人間として、宇宙の住人の一人として人間らしくあると決めたときに、光のようなスピリットに繋がって、宇宙の創造主と繋がることを」そしてそのような人こそが、神なるようなそのパワーと人間である自分と冥合して、宇宙の原理原則にのっとった正しいことが成せる存在になるということ。宗教ではなく、「魂=スピリット」のあり方を選択できるという意味。

多くの偉大な企業家を育てた中村天風氏の言う「神人冥合」の話し。人が神のような存在にも、悪にも瞬間的に繋がれることを知り、自分が天地創造主のような「力=神」と冥合するために、「人間らしくあれ」と語っている言葉を今日再びかみ締める。

その選択をしてゆくと、まず私たち一人ひとりが「決めることだ」と思う。そして、人間らしくある!というところで、繋がることに焦点をあてる世の中を創ろうではないかと、改めて誓う日だ!

また、3月に受けたNLPトレーナー・トレーニングで創始者、リチャード・バンドラー博士は、「マイク(伝えるための単なる道具)1本あれば、あなたは世の中を変えられる」つまり、そんな自分たちであろうと伝えられる存在であるということだと思う。

「大いなる力をも味方してくれる」そんな状態を、自分を含めたこの世界から引き出せるんだとメッセージがある。

そのことについて、世界のリーダーとは「私たち一人ひとりなんだ!」ってことを、忘れないで居ようと感じた。

世界中の戦争や紛争で命を落とした全ての命ある存在に感謝し、そのことから学ぶから、安心して安らかに眠ってください!のメッセージがあの原爆記念公園の石碑とともに、この私の胸にも深く刻まれた!
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8月5日、そう明日は原爆記念日。平和を願うこころを呼び覚ます日!

今年6月に仕事の相棒を訪ねて、生まれて初めて「広島」へ行った。平家の隆盛と滅亡の事実を象徴する宮島とそして原爆記念館、原爆ドーム・・・。

バックトラックとして最初にふりかえったのは、ある母親の悲痛な叫びのようなメッセージを寄せた、妹の高校の卒業文集であった。

私自身大阪出身だが、子供のころに自分達の年代、つまり被爆した親や、祖父母をもつ孫の世代にも、その影響があることについて書かれていた。罪の無いわが子を失ったその母親は、自分の母の体内で被爆したそうで、自分は今生き残っている。

しかしながら、被爆者からは孫の世代となる2人の子、つまり、その兄妹を高学生・中校生の年で、あいついで白血病で亡くされた。原因は原爆症によるものだ。卒業文集に自分の子供が書けずに死んだからと、そのこと「原爆」は決して過去のものではないことについて、思いのたけをつづられたものであった。今でも涙をぼろぼろ流しながら、嗚咽が挙がってくるのを抑えられず読んだことを鮮明に思い出す。

その思いを受け取り何か私たちがする必要があるのだと、感じていた。孫の代にまでその魔の手が及ぶ恐ろしい兵器である。そのときの私には、何をする必要があるのか、まだまだ潜在意識の奥底にしか感じられていなかったそんな遠い昔である。

私は、何をする必要があるとあの時感じたのだろうか!・・・潜在意識に聞いてみよう。
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