人気ブログランキング | 話題のタグを見る

成功を決めるのは一体誰か?

前回のマズローの欲求階層論における、最高階層「自己超越」というのを話題にしたが、そういう領域が成功なのか?その前段階の「自己実現」が成功なのか?というところで見ると、今日のテーマはまた面白いかなと思う。

このあいだ私が2年目の研究会参加をしている「原理原則研究会(中島孝志氏主宰)」の第1回テーマ「成功の原理原則」の勉強会で気づいたこと、再確認したことがある。

これを、まさにNLP(神経言語プログラミング)でいうところの、「言語学+心理学」アプローチで紐解きながら、解説してみよう。

質問:  「成功を決めるのは一体誰か?」  である。

答えは?:

1)自分自身である
    --わが人生の舵取りは私だ!

2)他人である
    --他人の協力が無ければ何もできない!

私は先天的にも、NLPを勉強してきた手前もあり、「言葉」の使い方のトリッキーさには敏感だ!

最初の質問と1)と2)の答え、そして、その下位の解説表現で、一番最初の質問の意図や、聞いていること自体がぶれ始めるのだ!

つまり、質問の焦点がずれてきていると私は思った。「成功を決めるのは一体誰か?」というのでは、

A) 「成功したと判断する人は誰か?」  のことを言っているのか、
B) 「成功を手に入れさせるもの、もたらすものひいては、それを手に入れさせてくれる人は誰か?」  のことを言っているのか

2つの側面を包括しているからだ。

最初の質問(成功を決めるのは一体誰か?)が、次の1)自分と、2)他人という答えおよび、その解説という「コンテクスト」を加えられたことによって、質問の内容「コンテンツ」が変えられたといっても良い。

いや、ここまで質問がでてきてみて、「コンテンツ」が見えてきたといえる。つまり、最初の質問では、先のA)を聞いているのやら、B)を聞いているのやらが判らなかったが、1)と2)の下位の解説でやっと質問の意図が見えてきたということ。

つまり、B)を聞いていたのだった!ということ。でも、ここまできて「コンテキスト」が「コンテンツ」を決めるというNLPの理論ってよくわかる。これがコミュニケーションの落とし穴でもあり、妙でもある。面白い。前後関係が見えてきて、はは~ん、それを聞いていたんだ!とか、訊いているうちに、焦点がずれてくるっていうのは、日常茶飯事だからだ。

まぁ、それはともかく、B) 「成功を手に入れさせるもの!」と読むならば、「成功とは」そのものを定義しなければ、「成功は自分次第か?」「成功は他人によってもたらされるか?」の質問には答えられないのだ。

★成功の定義はなにか?

私自身では、「成功=客観的にみて社会的認知(自我を超越した部分)のもと、自己実現している状態である!」としたい。

ことばに明確にしてみると、自分の成功というイメージがこの段階のレベルとして判る。したいという言葉にしたのは、「自我を超越するかどうか」は、個人の欲求の質・感覚・感情に因るからだ。良い・悪いではない。

自我を超越する成功か、自我の領域から抜け切らない、いや、直結し完結している成功か?と明確化するならば、世間でいう「成功」はどこをさすのだろうか?

たとえば、他人が「成功している人」という例をあげるときに、いろいろな前提や、好き嫌いが絡むように、究極は「人間性として」という部分に触れるところかもしれないが、それが「成功の基準に入っているか否かは、その人(成功者)次第」と思うからだ。

そうなると成功を決めるのは一体誰か?という質問には、もっと複雑なものが絡んでくる。

続きは、次回にしよう。
スペルボーン(Spellborn)